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jon5


今日は旧約聖書に出てくるJacob(ヤコブ)のお話がベースで、以前取材を続けていたアルペンスキーの選手のストーリーを紹介します。

なぜジョンが?
それは、最後のオチってことで。(長すぎるので、オチだけ読んでも可)


さて。
みなさんは、ヤコブの梯子をご存知ですか?



それは、ヤコブが見た夢に出てきた梯子のこと。
旅の途中、日が暮れたために一夜を過ごそうと、そこにあった石をとって枕として眠ったヤコブは、夢をみました。
そこにはひとつの梯子があり、それは天に向かってまっすぐに伸び、神の御使いたち(天使)が上ったり下ったりしていました。
これは、ヤコブは自分の兄からの復讐を恐れ、ヤコブの母の兄であるラパンの元に逃げる途中の出来事でした。
ヤコブはその光景を見て、「主はわれと共におられる。これは神の家である、これは天の門だ」と言い、主に対して深い信仰を持ったといいます。
簡単にはかけないし、わたしはクリスチャンではないわけで、解釈が違っているかもしれないのでここまでにしますが、この「ヤコブの梯子」には、いろんな意味が込められているのではないかなぁ、と思うわけです。

よく、雲の切れ間から光が差し込んでいたりしますよね。
それも、「ヤコブの梯子」と呼ばれています。まるで、天使が舞い降りてきそうなほどに神々しい自然現象ですね。きっとヤコブの夢に出てきた梯子とは、こんな感じだったのだろうなぁ、と思ってしまいます。

数年前の話になりますが、アルペンスキーの元選手だった木村●宣(●=公)の記事を書いたことがあります。長い長い記事でした。
彼は、アルペンスキーのなかの、スラロームという競技の選手でした。数あるスキー競技のなかでも、アルペンこそがking of skiといわれるほど、歴史は古く、そして深く、選手の層はものすごく厚い。雄大な山を持つ国、オーストリーやフランス、スイスが圧倒的に強く、名だたる選手をたくさん輩出しています。そんななか(当時、ですが)、世界のトップに名を連ね、優勝まであと一歩という偉業を成し遂げた日本人選手がいました。それが、木村でした。

木村は順調に駒をすすめ、第一シード選手(トップ15人の選手をそう呼ぶ)として活躍し、世界で3位という位置まで上り詰めた年、選手生命を絶たれるほどの大怪我を追ってしまいます。
アメリカで手術をし、オーストリーに渡りリハビリを続け、なんとか現役に復帰しましたが、やはり以前のようなすべりに戻すことはできませんでした。
ちょうどその頃、「カービングスキー」というニューマシンの到来で、すべりの感覚やテクニックなど、すべてにおいて様変わりした年でもありました。
彼はたくさんの壁にぶつかり、辛酸をなめながらも、もういちど第一シード選手としてすべりたい。世界のトップにまた名を連ねたい。まだまだ結果はくつがえせる。
そう信じてがんばっている彼のことを記事にしたときに使ったのが、この「ヤコブの梯子」というフレーズでした。

その記事には、それぞれに1枚の写真と短い文章で、プロローグとエピローグを作りました。
プロローグのページに書いた言葉は;


「目を閉じて天空を仰げば、
ぼんやりと浮かんでくる淡い光の道。
それは、登るべき階段、つかむべき栄光。
彼を導く”ヤコブの梯子”は、
一体、どこにあるというのだろうか」

という数行です。


何か起こるかわからない。それが人生です。

リハビリが終わっても、そこからはまさに血のにじむような努力の日々でした。以前であれば木村よりもはるか下のランキングだった後輩たちが、彼の上を行くようになっていました。ナショナルチームジュニアの選手たちにまでタイムで負けることもありました。試合を重ねても、自分の納得するすべりが形となって現われてくれません。木村は日々悩みました。
その頃、成績が右肩上がりだったのが、トリノオリンピックで4位というすばらしい成績を残したい皆川●太郎(●=賢)です。皆川は新しいマシーン・カービングスキーのコツをすばやく取り入れ、自分の体の一部であるかのようにうまく扱っていました。
木村はそれまで使用してきたスキー操作のクセがなかなか抜けきれず、スキーの長さをその都度変更し、自分にあったカービングスキーの長さと、そしてテクニックを模索していました。
木村は、何としてでも本当の意味での復活を遂げたかった。その純粋な気持ちから、彼は皆川が持つ彼のすべりについてさまざまな質問をしました。「強い人に聞くのは当然のことだからね」そう木村は笑いました。ほんの少し前までは、皆川にとっての「強い人」とは、まさに木村でした。しかしその木村が、皆川のことを「強い人」と表現したのです。
プライドの高さから、現実に耐えられない人もいます。しかし彼は、プライドがあるからこそ、投げ出すことを選ばず、最後まで戦い続けていました。1本のすべりに一喜一憂し、理想のすべりを目指して自分にできる努力を重ね、現実にしがみつきながら一歩一歩進みました。自分の歩幅で、自分の力で。


天空へのびる梯子。それを一歩一歩のぼりさえすれば、何とか頂上に着くことができる。これだけの努力を重ねてきたのだから、神はそろそろ木村に梯子を差し出してもいいのではないだろうか。そう思わずにはいられないほど、彼のスキーに対する情熱は熱く、そして真摯でした。

そんな時間を繰り返すうちに、木村は自分のなかに答えを見出していました。人に与えられる選択肢は無数です。そこから出る答えも無限大です。


記事の最後に書いたエピローグは、こんな言葉でした。


「そして彼はゆっくりと歩き出した。
霧が晴れてやこぶの梯子が姿を現したとしても、
それを登ることはしなかった。
自分の足で登るべき道が、
彼にははっきりと見えていたのだ」


木村にとって、ヤコブの梯子はすでに過去の産物。いちど踏み外してしまった彼は、過去に見た夢を追うことだけを選ぶような過ちは犯しませんでした。近道はありません。天へと近づく道を探しながら、現実を見据えながら、自分の足でずっと歩き続けていました。あらゆるものを、その長い道のりを歩くなかで、彼は見出していたのだと思います。

この記事を書いたのが2000年。その後一度だけ、4位という成績を残した木村でしたが、そこからトップの座へと再度駆け上がることはありませんでした。彼の思い描くすべりは実現しないままに時間が過ぎ、そして2003年、木村は志賀高原で行なわれたワールドカップを最後に、現役にピリオドを打ちました。

大会前の記者会見で心境を問われ、木村はこう語りました。
「めちゃめちゃ泣きたいです」

どん底にいても、這い上がれなくても、屈辱を味わっても泣かなかった木村が、愛するスキーと別れようと決断したとき。彼の心にはそれまで流せなかった涙が溢れだしていました。最後の最後まで、かっこいい選手だったなぁ、と思います。

彼は現在、北海道・富良野の某有名スキー場でスキースクールの校長として活動しています。某ケーブルテレビでFISワールドカップの解説などもしているようです(オリンピックの解説も彼でした)。富良野にスキー行くことがあるという方、チャンスがあれば、スクールで彼のすべりをぜひごらんになってください。(彼のターンを後ろから見たときの感動は今でも覚えています。ほんとすごいんです。必見です)

わたしは彼が引退してから、アルペンスキー(というか木村)の担当ではなくなったので、その後のアルペン界がどうなったかは新聞や雑誌で見る程度になってしまいました。トリノで4位となった皆川もまた、怪我に悩まされたひとりです。諦めずにプライドを持って戦った結果が、4位というすばらしい成績をもたらせたんだろうなぁと思います。そこには長く深い彼のストーリーが存在しているのでしょう。そして他にも(って、ご存知だとは思いますが)、日本のトップ、そして世界でも上位に君臨する佐々木という選手がいます。今後のアルペン界、さらにおもしろくなりそうです。



ヤコブの梯子から、ひとりの選手のお話をざっとしましたが・・・。
なぜヤコブの梯子なのか。なぜ JON BONJOVIの写真なのか。

それは・・・w
JONが札幌のライブでThere Daysという曲を歌ったからなのです。
わたしは札幌までは行けなかったけど、この曲が聞きたかった!
この曲のなかには There ain't a ladder on these streets という歌詞がでてきます。
lyricsを読んでいて、a ladder とはきっとヤコブの梯子なんだろうなぁ、と思っていたのです。
上記の木村の記事を書いていたときも、ずっとこのThese Days を聞きながら書いてました。なつかしいなぁ。

というわけで、JONが歌った!という話を聞いて、ヤコブの梯子、木村のストーリーを思い出したので綴ってみました。
読んでくださった方には、すごい飛び方だったかも・・・。
(わたしにはつながってるのだけどね)

長文お付き合い、ありがと~。

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